Schmitt ”Testimonial Justification and Transindividual Reasons” メモその1

Testimonial Justification and Transindividual Reasons

F.F.Schmitt

 

[本稿の目的]

  • 証言ベースの知識、つまり証言に基づいて正当化された信念は、いかなるいみで社会的であるのか、を明らかにする。
  • 証言的知識が強いいみで社会的であることじたいには論争の余地はない。

⇒命題の証言的知識は証言者の知識に依存している。

 

証言的知識についての強い社会性テーゼ:

私がpであるというTの証言に基づいてpを知っているのは、Tがpを知っているときに限られる

 

⇒上のような定式化のもとでは、私が証言的知識を所有していることは、私自身ではない別の人物に属する知識が存在することを含意しているといういみで社会的である。このような定式化じたいにいくつかの反論があるが(Lackey1999;Graham2000)、この定式が正しいものであることは、本稿では疑問視しない。つまり、証言的知識についての強いいみでの社会性テーゼじたいは本稿の議論の外にある。

 

⇔「証言によって正当化された信念」はしかし、うえとは対照的に社会的とはいえない。

「私の信念pがTの証言に基づいて正当化されるのは、Tがpを信じるよい理由をもっているときに限る」というテーゼは真ではない。

  • たしかに証言によって正当化された信念はよわいいみでは社会的である。
  • もしも私の信念pが証言に基づいて正当化されたなら、それは「証言に基づいて」ということによって、証言が存在すること、従って証言者が存在すること、従って通常のケースでは私ではない別の人物からの証言であること、が帰結する。
  • 存在しない証言によっては、私の信念は正当化されないだろうから、証言的に正当化された信念の存在は、証言子の存在を含意するといえる。

⇔だが、私がpについて証言に基づいて正当化された信念を所有していることは、私にとっての証言者であるところの彼女が、なんらかのポジティヴな認識論的立場にあることを含意するわけではない。

  • 冷蔵庫にイチゴが入っているという正当化された信念を、私がティナの証言によって持っているとしても、もしも私が、ティナがこのことを信じるための良い理由をもっていると誤って正当化されたときには、このときティナはじっさいにはこのことを信じるよい理由を持っていなくてもよい。
  • だから、私の信念pが証言者Tによって正当化されることは、Tがpを信じるよい理由をもっていることを含意しない。従って、証言によって正当化された信念は、強いいみで社会的であるわけではない。

【つまり、証言によって正当化された信念は、証言元の人物がそれを知っていることがなくても誤って生じることがあるので、証言によって正当化された信念pの存在は、知識pの存在を含意しないということか。】

 

  • しかし、本稿では、証言によって正当化された信念についてのある資格を持った社会的主張は擁護可能であると考える。
  • とくに、証言者がpを信じるためのよい理由をもっていることについての正当化された信念を私が欠いており、また私がpを信じるための他のいかなる理由も欠いているときに、pについての証言的信念が生じる場合:
  • このとき、pを信じることについての私にとっての良い理由がもしも存在するなら、それは私自身によるものではなく、証言者経由で得られるものでなくてはいけないだろう。そこで、筆者は以下の直感的に正しいと思われるテーゼを擁護したいと思う。

「私の信念pが証言に基づいて正当化されたなら、私の証言者Tは、私じしんは所有していないような、pを信じるよい理由を持っている。」

「私は、pについて信じるいかなる理由も所有してないときでさえ、証言に基づいて正当化された信念pを持つことができる。」

 

間個人的テーゼ(Transindividual Thesis):

(T1)私の信念pが証言に基づいて正当化されたなら、証言者のpを信じるためのよい理由に基づいて、たとえ、私自身がその理由を所有していなくても、信念pは正当化される。

(T2)私の信念が私自身が所有しているpを信じるよい理由に基づいて正当化されないときでさえ、私の信念pは証言に基づいて正当化されうる。

 

  • T1を支持する流れ

*(T1)は、以下の仮定(G)から帰結する。

(G)私の所有している正当化された信念pは、それがいかなるものであれ、私と適切に関連したものであるようなpを信じるためのよい理由に基づいて正当化される。

 

*(G)から、私の信念pは証言に基づいて正当化されるということが仮定される。私自身がpを信じるよい理由をもっていないのなら、よい理由となりうる候補は証言者によって所有されているものしか残っていない。従って、私の信念pは、私が所有しているよい理由か、他人(証言者)が所有しているよい理由のいずれかによって正当化されなくてはいけない。この結論は、(T1)そのものである。

*よって、(G)を受け入れたなら、(T1)も受け入れることになる。

*筆者は、(G)の受け入れについては、とくに議論せず、端的に仮定するだけにする。ただし、二節で示すように、(G)は証言によって正当化された信念に限定して適用される仮定である。証言のケースでは、他に妥当な選択肢がないために、この仮定を受け入れることになる。

 

  • T2を支持する流れ

*証言によって正当化された信念pは、証言者がpについてよい理由を所有しているということの正当化された信念に基づいて常に正当化されるわけではない。

証言者がpを信じるためよい理由を持っているという私の信念は、それじたいは究極的には証言に基づいて正当化される、つまり、私の証言的に正当化された信念qに基づいて正当化される。

*このことは、この証言的に正当化された信念qは、私が所有しているなんらかのよい理由に基づいて証言的ではない仕方で正当化されたものではない、ということを示している。これは、証言者がpを信じるよい理由を持っているという理由によるのではなく、私が所有している他のよい理由が何もないという理由による正当化である。

*従って、私はpを信じるためのよい理由を所有していないときでさえも、私の証言的信念は正当化されうるのである。これが(T2)に他ならない。

 

 

(T2)は、すべてのケースにフルに適用されるわけではない。間個人的テーゼのための条件付きケースを考えるために、以下のような間時間的テーゼを措定し、これと間個人的テーゼとをアナロジカルに考えてみる。

 

間時間的テーゼ:

(M1)私の信念pが記憶に基づいて正当化されるなら、信念pは、私が現在持っているpを信じるためのよい理由がないとしても、私のpを信じるためのオリジナルのよい理由に基づいて正当化される。

(M2)私がpを信じることについて、私がpを信じるためのよい理由を現在持つことによって正当化されているのではないとしても、私はpについて記憶に基づいて正当化されうる。

 

*例えば、冷蔵庫のなかにイチゴがあると信じるための私のオリジナルの理由が(あまりちゃんと確認しなかったとか)よいものではないとして、今現在のよい理由にも基づかずに私は冷蔵庫のなかのイチゴがあると信じているとしたら、私の信念は現在も正当化されてはいない。

*間時間的テーゼは直感的には正しいし、ひろく受け入れられているものだ。

⇒本稿は、証言的正当化のための間個人的テーゼのためのケースと、間時間的テーゼとをアナロジー的に検討するが、このとき間時間的テーゼじたいはひろく受容されたものと仮定して議論をすすめる。

  • 本稿の議論は条件付きのものである。本稿の目的は、証言的に正当化された信念についての間個人的テーゼのためのケースが、記憶的に正当化された信念についての間時間的テーゼのためのケースと同じくらい強いものであることを示すことにある。
  • 言いかえれば、もしも間時間的テーゼをある事例のもとで直感的に正しいと認めるのであれば、間個人的テーゼについてもなんらかの事例のもとでその正しさを認めなくてはいけないということである。

 

 

1.間個人的テーゼについての限界事例

*間個人的テーゼの事例は、間時間的テーゼの典型的事例とアナロジーをなす。我々は(G)を仮定して、私の正当化された信念pはよい理由に基づいていなくてはいけないと仮定する。(M1)は、(T1)とパラレルである。(G)を受け入れたなら、(M1)についても容認しなくてはいけない。

*(M2)条項のばあいには、私の信念は現在の理由によっては正当化されないのであっても、記憶的に正当化されうる。このことは、その信念がよって立つところのものとしてのよい現在の理由の候補として適切なものがないばあいには、諸信念は直感的に記憶によって正当化されうるのだという主張であろう。

⇒ここで、よい現在の理由であるものの候補には2つの種類があると考えられる。ひとつは、現在の還元的理由、もうひとつは現在の非還元的理由、である。

  • (M2)のばあい、記憶的に正当化された信念が存在する、とされる。これは、よい現在の還元的理由が存在せず、かつ、よい現在の非還元的理由も存在しないことによる。

還元的理由:なんらかの記憶的に正当化された信念pがよい現在の還元的理由に基づいて正当化されるのは、それが演繹的、帰納的その他の理由からの正当化推論に基づく場合である。

  • そのような理由がひとつの信念であり、それじたいが私の記憶的に正当化された信念pに正当化を与えるために正当化されていなくてはいけない。
  • そのような現在の還元的理由の妥当な性質とは、それは私の記憶的に正当化された信念が、現在の還元的理由のみに基づいていることを妨げる性質であるが、そのような現在の還元的理由が記憶に依存しているということである。
  • 私の信念が現在の還元的理由rに基づいていることによって記憶によって正当化されているのなら、その信念はrからの推論によって正当化されており、rはそれじたい正当化された信念でなくてはいけない。
  • だが、いま想定しているケースだと、私の記憶的に正当化された信念を支持しうる何らかの現在の還元的理由は、それじたい記憶に基づいている。だから、記憶的正当化は現在の理由にのみ依存すると仮定すれば、現在の還元的理由に基づく記憶的正当化は究極的には現在の還元的理由に基づいており、その現在の還元的理由は現在の非還元的な理由に基づいて記憶的に正当化されており、というように、還元的理由に基づく記憶的正当化の後退が始まることになる。
  • 後退を避けるためには、私の現在の還元的理由rは究極的には現在の非還元的理由に基づく記憶によって正当化されているというしかない。
  • このいみでは、還元的理由は非還元的理由に寄生的なものといえる。すると、現在の非還元的理由とは、現在の還元的理由に基づく究極的な記憶的正当化の基盤であり、従って、現在の理由に基づく何らかの記憶的正当化の究極的基盤である。
  • だから、私の記憶的に正当化された信念が現在の還元的理由に基づくのはその理由がそれじたい記憶に基づいて正当化されたときのみであると想定するのであれば、間時間的テーゼのための典型事例は、よい現在の非還元的理由としての基盤が存在しないときのための記憶的正当化の事例を示すだけでよいことになる。
  • 問題は、現在の非還元的理由という正当化基盤は、さらなる後退を生じさせないのかということであるが、現在の非還元的理由は、還元的理由と異なり、それじたいは記憶による正当化を必要としないので後退は生じないのである。
  • 現在の非還元的理由は、私の記憶的に正当化された信念pに正当化を与えるために、それ自体が正当化されている信念を必要としない。

 

  • しかし、なぜ私の信念pが現在の還元的理由に基づいて記憶的に正当化されるのは、その理由それじたいが記憶によって正当化されているときのみであるといえるのか。最も典型的な回答は以下のものだ。

 

私の信念pが記憶に基づいて正当化されることは、以下の帰納的に正当化された一般化からの統計的三段論法に基づく。あるタイプX(たとえば、鮮明な経験のリコレクションなど)の記憶的信念は真である傾向が高い。私の信念pはタイプXの記憶的信念であるということの内観的に正当化された信念がある。

 

私が記憶的に正当化された信念を持っていることに疑いはないとしたとき、私の信念はしばしば特殊な種類(たとえばタイプXの信念)の現在の還元的理由の基盤のもとで正当化されうることがある。だが問題は、もしも私の信念がこのような基盤のもとで正当化されたなら、その理由は究極的な記憶に基づく正当化を免れるのだろうかということだ。こたえは否である。

  • タイプXの記憶的信念は真である傾向が高いという前提は帰納的に正当化される。しかし、この前提における私の信念は、タイプXの所与の記憶的しんえんは真であるという正当化された信念に基づいて帰納的に正当化されている。だが、一般に、なんらかの特定のタイプXの記憶的信念が真であるという私の思念は、その信念じたいとそれから他の記憶的信念とに基づいて正当化されることになるだろう。従って、記憶に基づいて正当化されていることになる。
  • すると、現在の還元的な統計的理由は記憶的正当化の無限後退を止めることはできない。後退を避けるためには、現在の還元的な統計的理由は、現在の非還元的理由の究極的基盤に基づくとしなくてはいけない。
  • じっさい、もしも、他の現在の還元的理由が、現在の統計的還元的理由と同じ問題に直面するのであれば、このような現在の非統計的理由は、現在の非還元的理由でなくてはいけない。
  • いずれにせよ、現在の還元的理由は、記憶的正当化の無限後退を避けられず、もしもしんえんが現在の理由によってのみ正当化されなくてはいけないとするならば、現在の還元的理由に基づいて記憶的に正当化された信念は、現在の非還元的理由の基盤によって究極的には正当化されなくてはいけない。

*以上が、(M2)を想定したさいに、記憶的に正当化された信念は、よい現在の非還元的理由による究極的基盤を欠いていてもよいのか、という問題への回答である。

 

 

  • では、証言的に正当化された信念のばあい、私がそのような信念のために所有している還元的理由は、究極的には証言に基づいて正当化されなくてはいけないのだろうか。つまり、もしも、正当化が私が所有する理由によってのみなされるのだとしたら、証言的信念は、究極的には、私が所有する非還元的理由によって正当化されなくてはいけないのだろうか。

 

私の信念pが証言に基づいて正当化されるとき、信念pは、私の信念pがタイプXのものであるということが内観的ないし知覚的に正当化された信念であるときに、帰納的に正当化された一般化「あるタイプX(例えば、pが属するフィールドにおいて社会的に認められた専門家の証言に基づいた信念であるとか)証言的信念は真である傾向が高い」からの統計的三段論法に基づいて、正当化されている。

 

*だが、記憶的正当化と同じ問題がここでも生じる。

  • 一般に、私が、タイプXの特定の信念を信じることを正当化されているのは、その信念と、それとは別の証言的信念に基づいてのことである。一般に、私が特定の証言的信念を真であると信じることが正当化されているのは、証言的信念または他の信念に基づくときのみであるということには2つの根拠がある。
  • ひとつは、私は妥当な証言的信念のいくつかはファーストハンドに検証できるかもしれないが、すべての証言的信念をそのように検証することはできないし、帰納的前提を置くことなしに検証することはできない。
  • もうひとつは、一般に、私が証言的信念を検証したさいの基盤としての知覚的信念は、それじたい部分的に先行的な証言的に正当化された信念によって正当化されている。
  • 証言的正当化の統計的還元の妥当性をめぐる現在の議論は、どちらかの、あるいは両方のポイントにはまってしまうだろう。
  • いずれにせよ、私の証言的に正当化された信念のための統計的理由は、それじたいが証言に基づいて正当化されている。だから、私の信念pが、私が所有する統計的な種類の還元的理由の基盤に基づいて証言的に正当化されているのは、その理由がそれじたい証言に基づいて正当化されているときのみである。
  • 私が所有する統計的理由をめぐる無限後退を避けたければ、私が所有する還元的統計的理由は、私が所有する非統計的理由の基盤のもとで正当化されなくてはいけない。私が所有する還元的理由の基盤のもとで正当化された証言的信念は、究極的には私が所有する非還元的理由のもとで正当化されなくてはいけないことになる。

*従って、証言的に正当化された信念は究極的には私が所有する非還元的理由のもとで正当化されなくてはいけないということは(もしも私が所有する理由というものに理由を限れば)、記憶的に正当化された信念は究極的には現在の非還元的な理由のもとで正当化されなくてはいけない(もしも現在の理由に理由を限れば)という主張と同じく強い主張ではない。