同その2

2.非還元主義

  • 非還元主義は、当然「ポジティヴな理由要件」も「還元要件」も拒絶する。彼らは、ポジティヴな理由は証言的正当化の必要条件でも十分条件でもないし、証言的正当化は他の認識論的源泉には還元できないと主張する。
  • 非還元主義者が、聞き手が話者の証言を受容することを正当化されているとするのは、以下の2つの条件が充たされているときのみである。
  • 当該報告が信頼可能な仕方で産出されている。典型的には、話者がコンピテントな信念者であり、かつ誠実な証言者であるときである。
  • 当該聞き手が、レリバントなディフィーターを何も所持していない。つまり、聞き手は、受けた報告にかんしての、なんらかのカウンター信念かカウンターエビデンスを所持していない。
  • 上記の仕方で、受容した話者報告になんの反例証拠も存在しない場合には、聞き手は、当該証言を正当に受容することにさいして、そのためになんらかのポジティヴな認識論的作業を労する必要はない。

⇔だが、本稿では、上記の見解は間違っていると論じる。聞き手は、証言的正当化にさいしてなんらかの認識論的作業を行わなくてはいけない。また、証言的正当化にとって、聞き手が所有するポジティブな理由が必要十分条件であるというテーゼ(PR-N&S)は偽であるが、しかし、聞き手が所有するポジティヴな理由は必要条件であるというテーゼ(PR-N)は真であると主張する。【還元主義を主張しなければ、PR-Nを主張することに問題はない。】従って、非還元主義は、偽であることを以下で示す。【非還元主義は、証言的正当化にとって、聞き手の所有するポジティヴな理由は必要条件でも、十分条件でもないと主張しているので、聞き手の所有するポジティブな理由が必要条件であることが真であると示すことができれば、非還元主義は偽であることになる。】

 

  • PR-Nは、還元主義の弱い解釈(ただし、PR-Nは還元主義を採るならじつは主張できないはずである。)であるが、非還元主義は、PR-Nでさえ拒絶する。証言的正当化は、非還元主義者によれば、聞き手の側が所有するなんらのポジティヴな理由なしに達成可能なのである。

 

  • エイリアン

サムは、非常に標準的な人物である。あるさわやかな朝、サムが森の中を散歩していると、遠くで、誰かが本を落したのが見えた。物理的なその見え方が、サムに彼女を異なる惑星からきたエイリアンであると同定させたのだが、サムはそのような種類のエイリアンについては何も知らないし、彼女がそこからやってきた惑星についても何も知らない。さて、サムは徐々にそのエイリアンを見失っていったのだが、彼女が落した本を見つけることができた。それを開いてみると、それが英語で見えることに彼はすぐに気付き、それがいわゆるこの惑星で言うところの日記であると気付いた。さらに、この本の最初の文章を読んでみると、サムは、この日記の著者の惑星の住人のうちの幾人を虎が食べてしまったということに対応する信念を抱いた。この本は日記であり、このエイリアンは英語でコミュニケートする。そして、この両者が真であり、かつ、日記に書かれている当該のことがら、つまり惑星の住人の幾人かが虎に食われたということは信頼可能である。

 

⇒さて、当該の本はエイリアンによって書かれている。だが、サムは、認識論的にレリバントなポジティヴな理由を何も持っていない。

  • サムは、常識的な宇宙人理論も持っていないし、証言者としてのエイリアンへの信頼可能性についてもなんらの信念も持っていない。また、サムはかの惑星社会における「日記」の機能についてもなんの信念も持たない。
  • さらに、もしもサムが、彼女のコンピテンスと誠実さを評価しようとして、著者の語り口に注目しようとしても、地球においてのコンピテンスと誠実さのサインが、かの惑星におけるコンピテンスと誠実さのサインと対応していることを信じるようなポジティヴな理由はなにもないのだから、それは無益な作業であろう。
  • また、サムは、その本で報告された内容と、彼自身の背景的信念とを比較することすらできない。なぜなら、その本で使用されている言語が、地球で使用されている言語と同じ使用のされかたをしていることを彼が知ることはないからである。
  • よって、この事例では、聞き手は、話者の証言に対して、ポジティヴな理由をまったく何も持つことができない。
  • さらに、いま、サムは、この日記に書かれていることに対しての、カウンター信念やカウンターエビレンスを何も持っていないとする。

⇒サムは、エイリアンの日記に基づいて、当該惑星においてその住人の幾人かが虎に食われたと信じることを正当化されているだろうか?

こたえは否であろう。

  • エイリアンの報告が事実的に真であり信頼可能なものであったとしても、サムにとって、当該信念をエイリアンの報告に基づいて形成することは認識論的に合理的とはいえない。
  • エイリアンの住む惑星では、他人に証言をするさいには不誠実であることが慣例になっているかもしれないし、かの惑星の心理学では地球におけるサイコパスが標準状態とされているかもしれないし、「日記」はSFを意味するのかもしれないし、その言語は英語と区別がつかないようにみえるがじつはエイ語であり、エイ語においては英語における否定が主張の肯定に使用されているのかもしれない。
  • サムがその本を読んで知ったことのすべては、エイリアンが英語を話す信頼可能な証言者である可能性を示してはいるが、反対の可能性を弁別する手段をサムはいっさい持たないのだから、この場合には信念形成を差し控えるのが適切であろう。

⇔さて、ここで、非還元主義者の第二要請(ディフィーター要件)について考えてみよう。

  • 私は君が頻繁に嘘をつくことを信じているが、それにも関らず君の証言に基づいてフクロウが捕食動物であると信じている場合、非還元主義者からすれば、私の証言的信念はじっさいに真であり信頼可能な仕方で形成されたにもかかわらず正当化されているないし知識である資格をなくしている。
  • 証言的正当化は、非還元主義者にとっても、認識論的非合理性とは両立しないからである。
  • 私が、君はよく嘘をつくということを信じているということをディフィーターとして所有しているが、君の証言を信じているという場合と、サムがエイリアンを信頼することについて全く何のポジティヴな理由を所有していないがエイリアンの証言を信じるということは、どちらが認識論的に非合理だろうか。
  • サムは、エイリアンにかんしてまったく何も知らないのである。しかし、私は、一般的な人間についての知識、君についての知識、人間は大抵の場合には誠実に話しているのであり、報告は大抵の場合情報を伝達しているのであり、、といったものをもっている。
  • この豊富なポジティヴな情報背景に反するディフィーターとしての、君が頻繁に嘘をつくという私の信念は、サムがエイリアンが英語を話しているのかどうかについて知らないという事実と比較した場合には、認識論的にとるにたらないことであるように思える。ポジティヴな理由の不在のもとでの証言受容は、ディフィーターの存在のもとでの証言受容よりも非合理なのである。
  • エイリアン事例は、非還元主義者による、ポジティヴな理由の完全な不在のものでの証言受容という想定が非合理であることを示している。

 

*非還元主義者は、サムによる「日記」の内容の受容においてサムがレリバントな条件をみたしていないのだとして、エイリアン事例に反論するかもしれない。

  • 事例のような文脈では、サムはディフィーターの不在条件をみたしていない。なぜなら、話者・報告・文脈にかんしての認識論的にレリバントな情報が絶対的に存在していないことは、ここで問題になっている証言に反する証拠として聞き手に与えられるのから、サムはディフィーターを持っているというわけだ。
  • だが、このような反論は適切ではない。いま、仮定によって、日記については、その内容が偽であるとか、その作者が信頼不可能であるとかを示すような情報は何も存在していない。従って、サムは、レリバントなディフィーターは何も所有していない。
  • サムが正当化された信念をもっているということへの違和感は、証言的正当化のためにポジティヴな理由は必要条件であるという我々の直感を表している。
  • サムがエイリアンの「日記」にかんして所有していると適切に語っているという主張に対してのネガティヴな理由は、ポジティヴな理由の不在のみである。
  • 還元主義と非還元主義との相違は、結局ポジティヴな理由を必要とするかという点にある。問題は、非還元主義が、ポジティヴな理由を必要としないという点にあるのであって、ディフィーターの有無はポイントではない。

*あるいは、証言者を人間に限ることで、エイリアン事例は回避できるかもしれない。

  • たしかにエイリアンは我々の惑星で証言慣習に似たものをもっているかもしれないが、その類似性を保証する手段はない。だから、エイリアンは受け入れ可能性の枠内には存在せず、サムはエイリアンの証言を受容することを正当化されない、と。
  • しかし、エイリアン事例と同様のことは、人間においても起こりうる。たとえば、サリーは二ヶ月間こん睡状態にあったが、目覚めてみると、英語の読み書き能力以外のすべての知識をなくしていた。仮定として、サリーは人間の心理学についての常識的信念とか、証言者としての人間は一般的に信頼可能であるという信念を持っていない。サリーが、誰が書いたのかわからない日記を拾って読んだとして、その日記の内容についてのサリーの信念は正当化されるだろうか?
  • この事例は、エイリアン事例と、認識論的にレリバントな部分で類似しているが、当然、サリーの信念は正当化されていないだろう。だから、証言者のスコープを人間に絞ることには何のいみもない。
  • また、話者がエイリアンか人間かによって、異なる認識論的スタンダードを設けることにはなんのいみもないし、そのようにしなくてはいけない何の理由もない。

 

  • 聞き手は証言的交換において、少なくとも何らかの認識論的にレリバントなポジティヴな理由を持たなくてはいけない。だからPR-Nテーゼは真である。そして、証言的正当化にかんしての非還元主義の主張はあやまっている。

 

 

3.Dualism

  • 証言的交換において、情報は典型的には、2つの中心的参加者(話者と聞き手)との間を伝達される。還元主義にしろ非還元主義にしろ、すべての認識論的作業をどちらか片方の参加者に担わせてしまっており、もう片方の側によってなされるポジティヴな正当化条件が必要であることを無視している。
  • 還元主義:
  • 還元主義者は、聞き手にのみ焦点を当てる。証言的正当化が知覚・記憶・推論的正当化へと還元されるための、そのすべての正当化作業が聞き手に担わされる。聞き手がポジティヴな理由を所有していることが、還元的基盤として求められるからである。
  • 従って、還元主義によれば、①聞き手によって所有された理由が与えられた証言的信念のステイタスを完全に決定する。②(聞き手のポジティヴな理由によって把握されるようなものをのぞいては)話者は、聞き手の証言的信念の正当化に対して何の認識論的レリバンスも持たない。
  • だが、入れ子になった話者事例が示しているように、当該証言にかんしていかに優れたポジティブな理由を聞き手が所有していたとしても、話者は完全に信頼不可能な報告をしているかもしれない。証言的正当化の適切な説明のためには、当該証言が信頼可能であり真理統制的であることが要請される。
  • 非還元主義:
  • 非還元主義は、話者が証言的交換においてなすべきことを要求しているが、聞き手によるポジティヴな貢献を無視する。話者の証言の信頼性を要求することは正しいが、聞き手がたんにディフィーターの不在のみを充たせばよいことになっており、これは正しくない。
  • エイリアン事例は、話者の証言が信頼可能であっても、このことじたいが、聞き手に話者の証言を合理的に受容させることにはならないことを示している。聞き手は、当該の証言にかんして、なんらかの認識論的にレリバントなポジティヴな理由を持たねばならない。

 

  • デュアリズム:
  • 話者の信頼性と、聞き手のポジティヴな理由の両方が必要である。聞き手の信念の正当化は、2つの源泉をもっており、それは話者の信頼性と、聞き手の当該信念への理由の合理性から充たされる。

 

Dualism:話者Aと聞き手Bにとって、BがAのpという証言に基づいてpと信じることを正当化されるのは以下のとき、かつそのときのみである。(1)Bは、pというAの証言の内容に基づいてpと信じており、(2)Aのpという証言は、信頼可能であるか真理統制的であり、(3)BはAのpという証言を受容することのための適切なポジティヴな理由を所持している。

 

 

  • むろん、上記の条件は、証言的正当化のための必要条件でしかない。他の条件も必要かもしれない。
  • だが、ポイントは、証言的正当化は話者と聞き手の両者からのポジティヴな貢献が必要であるということである。

 

  • 条件(1)
  • 証言的正当化のうちで、この条件が明確化するのは、聞き手が当該信念を話者の証言に基づいて形成するという点である。
  • ある信念が、全体的にまたは第一に、話者の証言にかんしての性質に基づいて形成されるケースを除外しなくてはいけない。

(例えば、話者がソプラノの声で話しているときに、聞き手が話者がソプラノの声を持つということを信じるというケースは知覚に基づいている信念なので除外される。)

  • つまり、条件(1)は、上記のような証言的正当化とはいえないケースを除外するための条件である。
  • 条件(2)
  • 話者の証言の信頼可能性の詳細は、様々な仕方で押さえることができる。
  • よくある仕方としては、当該の話者が、コンピテントな信念者であり、かつ誠実な証言者であることを要請するというものである。この場合、話者は彼女の信念を認識論的に受容可能な仕方で形成しなくてはならず、かつ、他者に対して彼女自身が信じていることを報告しなくてはいけない。
  • または、話者の信念ではなくて、話者の言明が、なんらかの仕方で信頼可能である、つまりノージックの言うところのsensitiveである(もしもpが偽であれば、話者はpと言明しない。)とか、ソーサの言うところのsafeである(pであることなしに、話者はpと言明することはない。)とか、を要請することもある。
  • いずれにしても、条件(2)について、このような条件をつけることの一般的妥当性にかんしては疑いの余地がないといえよう。
  • 条件(3)
  • 最も問題含みなのが、条件(3)である。還元主義に反対する議論は、このポジティヴな理由要請について常に焦点をあてて攻撃してきた。
  • Webbは例えば、「還元主義のトラブルの始まりは、我々の証言ベースの信念が、証言の信頼性についての我々のなかにある信念に基づいていなくてはいけないという要請にあると思われる。このあまりに高度な要求は、信念主体にあまりに多大な負担を負わせることになる。つまり、彼は、その領域の経験、それらの心理学的性質といった人間についてのあらゆる種類の知識を要求されるわけだが、単純に考えて彼はそのようなものを所持してはいないだろう。」と述べている。
  • Foleyは、還元主義の問題は「他人が持っていて我々が持っていないような専門知と情報から我々を切り離してしまう恐れがある。結局、我々が欠いているような専門知と情報を持つ多くの人びとは、我々がほとんど知らないことについて知っている人びとである。だから、我々にとって、それら知識を導出的権威とみなすことにも、なんの基盤もないことになる。」?
  • そればかりか、仮に、我々が話者の証言を受け入れるための適切なポジティブな理由を持つのであれば、その時にはストローソンが言うように「チェックプロセスは、証言という他人のソースから確証を探すことによってなされる」ことになる。
  • 問題なのは以下の2点であろう。①通常の認識主体は、直感的に正当化されていると感じるような証言の大部分について、それを受け入れることを正当化するのにじゅうぶんなほどの強さのポジティヴな理由を獲得するための十分な情報を単純に所持していない。②仮に、ある認識主体がある特定の証言に関して、それの受容を正当化するに十分な情報を持っていたとしても、ポジティヴな理由それじたいは、証言じたいを保証するわけではない。
  • ラッキー自身が還元主義を拒絶する理由は、上記①、②ではない。だが、ポジティヴな理由要請についての議論はラッキー本人の議論も攻撃されうる。そこで、以下では、デュアリズムの条件(3)を、①②から擁護することに重点を置く。

 

  • デュアリズムにおけるポジティヴな理由要請

(1)反論①は、還元主義がPR-Nではなくて、PR-N&Sにコミットすることの問題から生じる。

  • 還元主義者は、ポジティヴな理由は、証言的正当化のための必要条件でありかつ十分条件であると主張する。それゆえ、ポジティヴな理由は、証言的信念のための正当化の責務のすべてを担うことになる。(正当化作業は、一意に聞き手のみに課される。)
  • このことは、結局以下の懸念を導く。我々がもつ証言的信念をすべて適切に正当化しつくすのに十分な情報を我々は所持しうるのだろうか?
  • これに対して、デュアリズムは、正当化作業を話者と聞き手とで共有するから、ポジティブな理由の要請が、過剰な責務になるということはない。
  • とくに、デュアリズム条件(2)について、当該証言の信頼性について押さえてあるために、条件(3)はたんに聞き手の証言受容が合理的なものであるか否かにかんしてのみかかわる。より正確にいえば、聞き手によって所持されるポジティブな理由は、すくなくとも、当該証言を彼女が受容することが彼女にとって非合理的ではないという点が抑えられればよい。これは、還元主義よりも弱い条件である。
  • たとえば、私が初めてロンドンを訪れて、ランダムに地方紙を選び読むとして、そこから得られる信念が適切に正当化されうるのか、ということを考えてみる。デュアリズムの場合には、私が各新聞についてなんら特定の信念をもたないとしても、イギリス一般についての信念、国民性、政治状況、社会政治的価値観などについて信念をもっているときには、この情報の所持は、この情報それじたいが、それら信念を正当化するのに十分なものではないにしろ、新聞をベースにした信念を非合理ではないとするのには十分である。

 

(2)認識的意義を持ちうるポジティヴな理由の種類というものが存在する。それは、デュアリズム条件(3)を充たすのにレリバントなものである。

  • 例えば、私はハロルドの証言にまつわる性質については何も知らないとする。私は今日初めて地下鉄で彼と出会って、彼に道を尋ねると、彼は丁寧に私の目的地は南に4ブロック先に進んだところだと答えた。私は、ハロルド本人のバクグラウンドについては知らないけれど、その代わりに、ひとは、通常の文脈で道を尋ねられたときは、一般に誠実でコンピテントなものだと信じるための帰納的証拠を持っているかもしれない。
  • より正確にいえば、聞き手Bは話者Aの報告とそれに対応する事実との一般的適合性を観察していなくても、Bは他のレリバントな報告と事実との一般的適合性については観察しているかもしれない。認識主体が、証言の信頼可能性と信頼不可能性とを識別するために利用可能なポジティヴな理由のクラスが少なくとも3つある。
  • 第一のポジティヴな理由のクラスは、コンテクスト、文脈的性質である。【この場合、言われたことそのものというより、いかなる背景のもとで、そのことが言明されているのかに焦点が当てられている。同じ事柄を語っても、それが語られた状況・語り方などによって信頼性の帰属度は異なる。】
  • たとえば、ナショナル・時オグラフィックのレポートとか天文学の講義とかいった文脈では、批判的な態度は弱まるが、占星術の講義とかナショナル・インクアイアーの報告に対しては批判的である、ということがあるかもしれない。このような態度の違いは、ポジティヴな証拠(他の文脈よりも、この文脈では受容が信頼できる)とネガティヴな証拠とが積み重なったことによる。
  • 第二のクラスは、報告の種類である。
  • 聞き手はおそらく、話者が、時刻・彼自身の名前・夕食のメニューなどについて語った時には、とくに批判的な態度をとらないだろう。だが、政治的な事柄とか、UFOをみたとか言われれば、批判的になる。
  • 語られる主題の種類や報告のタイプは、聞き手にたいして、認識論的にレリバントな理由を与える。
  • 第三のクラスは、話者である。たとえば、銀行員は預金のことについて信頼可能な情報を与えてくれると信じるが、政治家が税金について信頼可能な情報を与えることは信じないというような。

⇒聞き手は、様々な形式で、認識論的にレリバントなポジティヴな理由を受け取っている。そのような理由は、聞き手に意識されていないかもしれないが、認識的に決定的な役割を担っている。このことは、話者に対して、なにひとつポジティヴな理由を見出せないということが、非常に難しいという点に端的に表れている。エイリアンの事例でも、サムはエイリアンの社会が地球のそれと類似していると考えるためのポジティヴな理由を持ち、エイリアンの落し物を「日記」であると思っていた。

 

(3)反論②:聞き手が特定の報告の受容を正当化するために十分な情報を持ったとしても、ポジティヴな理由は証言それ自体は保証しない、に対する議論。

  • 話者の証言を受容することのためのポジティヴな理由は、ポジティヴな理由が究極的かつ全体的には証言的には基礎づけられない限り、それじたい証言に依存しているという点は重要である。
  • 議論の錯綜を避けるために、いま以下のⅰは拒否するが、ⅱは受け入れるという立場を考えてみる。

ⅰ:各報告Rについて、Rを正当化するポジティヴな理由は、それ自体は、他人の証言から獲得されえない。

ⅱ:各報告Rについて、Rを正当化するポジティブな理由は、究極的には証言的に基礎づけられえない。これは、Rの正当化ないしRへの認識的連鎖の遡及は、証言において「底をついている」からである。

  • 「入れ子になった話者」について考えてみよう。フレッドは、ヘレンについて、幅広い領域にかんしての高度に信頼可能な情報源であると信じるためのポジティヴな理由を帰納的に獲得している。そのために、フレッドはヘレンによるポーリーンについて、彼女が、とくに野鳥にかんして、高度に信頼可能な人物であるとの証言をたやすく受容したのである。こうして、フレッドは、ポーリーンによるアホウドリ証言も受け入れることになった。
  • ここで、フレッドが持っているヘレンの証言に対してのポジティヴな理由は、ⅰとⅱの両方を充たしている。それに対して、フレッドが持っているポーリーンの証言に対してのポジティヴな理由はⅱしか充たしていない。
  • ヘレン証言の受容に対してフレッドが持つポジティヴな理由は、知覚・記憶・帰納的推論から獲得されている。それは、さらなる証言によって獲得されているわけではない。
  • だが、ポーリーン証言の受容に対してのフレッドのポジティヴな理由は、直接的なタイプでの(ポーリーンは信頼可能な証言者であるというヘレンの証言)さらなる証言に基づいている。だが、認識的連鎖は、非証言的な源泉において「底をつく」。つまり、ヘレンの信頼可能性についてのフレッドの帰納的証拠が終点である。
  • この弱いいみでの非証言的基礎付け(これがⅱが述べていることであるが)が、循環を避けるために決定的な役割を果たす。
  • デュアリズムにおいては、話者の証言の受容に対しての理由は、それじたい他人の証言から獲得されうる。それどころか、2人以上の多くの人物を含む認識低連鎖も想定しうる。Bの証言を受容するためのAの理由は、Cの証言によるもので、Cの証言はDの証言に基づいており、といったように。条件(2)を充たすために決定的なのは、当該の認識的連鎖の最終的地点が、非証言的に正当化されていることである。
  • 無限後退や悪しき循環を避けるために、伝統的基礎付け主義は、正当化の連鎖は究極的には基礎的なもの、基礎的信念で終わらなくてはいけないとしていた。しかし、正当化された諸信念の各々が、基礎的信念によって直接に正当化されている必要はない。同様に、証言の無限後退を避けるために、ポジティヴな理由要請は、正当化の連鎖は、究極的には非証言的源泉で終わることを規定しておけばよい。しかし、それは、各々の証言的信念が、直接に非証言的に正当化されていなくてはいけないこととは異なる。
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