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Lackey ”It Takes Two to Tango~” メモ その1

 

It Takes Two to Tango: Beyond Reductionism and Non-Reductionism in the Epistemology of Testimony

Jennifer Lackey

 

  • 他人の語ることや書いたことから我々はいかにして成功的に正当化された信念を獲得するのだろうか。この問題は、証言の認識論の中心的問題であるが、その回答には2つの潮流がある。還元主義と非還元主義である。還元主義者は、証言的正当化は感覚知覚、記憶、帰納的推論へと還元されると主張するのに対して、非還元主義者は、証言は他の源泉と同じく基本的な認識論的源泉のひとつであると主張する。本稿は、この論争に挑戦するものである。第一に、還元主義、非還元主義の両方ともが深刻な問題を抱えていることを指摘する。第二に、還元主義/非還元主義の二元論を超えた証言的正当化についてのオルタナティヴ見解を提示する。

 

1.還元主義

還元主義の主張は以下の2つの要素をもつ。

①ポジティヴな理由の要素(Positive-Reasons Component):

  • 証言的信念に正当化が付与されるのは、聞き手の側に適切なポジティヴな理由が存在することによってである。
  • これらの諸理由は、それじたいは証言的に基礎づけられることはありえないから、他の認識論的源泉(感覚知覚、記憶、帰納的推論)によって供給される源泉に依存していなくてはいけない。

②還元要素(Reduction Component):

  • 証言的信念の正当化は、非証言的に基礎づけられたポジティヴな理由によって供給されるのだから、証言的正当化はけっきょく感覚知覚、記憶、帰納的推論の正当化に還元される。

⇒だが、還元とは、何にどのようになされるのだろう。証言的還元の関係項はどうなっているのか?いまのところ、2つの回答が提出されている。グローバル還元主義とローカル還元主義だ。まず、グローバル還元主義についてみていこう。

  • 証言についてのグローバルな還元主義:
  • 信念の源泉としての証言の正当化は、感覚知覚・記憶・帰納的推論の正当化へと還元される。【個々の証言的信念についてではなくて、証言的正当化のプロセス全体を、非証言的な正当化プロセスへと還元しようとするのがグローバル還元主義である。】
  • 話者の報告を正当に受容するためには、聞き手は、証言は一般的に信頼可能なものであると信じることに対しての非証言的に基礎づけられたポジティヴな理由を持っていなくてはいけない。

⇔グローバル還元主義の3つの問題:

(1)両親や教師も含む他人からの証言を何も受容しない以前の子供は、多くの報告や話者をチェックして、そこから証言の一般的信頼性を結論することはできないのではないか。グローバル還元主義は、他人の証言をチェックして受容するようになるプロセスへの参入を説明できないし、もしも最初になんらかの証言を受容することなしに証言の信頼性についての帰納的推論に必要とされる概念的-言語的ツールを獲得するというのであれば、それはほとんどミステリーである。従って、グローバル還元主義が真であるなら、証言的正当化を獲得するのに必要とされる認知的ツールが認識主体からアクセス不可能でありうることになり、証言的知識全体への懐疑論へと陥ることになる。

 

(2)証言が一般的に信頼可能であることへの非証言的に基礎づけられたポジティヴな理由をもつためには、無作為ではなく広範囲である報告のサンプルを精査しなくてはいけないだけではなく、無作為ではなく広範囲な対応している事実も精査しなくてはいけない。報告にしても事実にしても困難が生じる。我々の多くは、母国語での手頃なコミュニケーションの内部での非常に限定された範囲の話者の報告しか精査しないだろう。この限定されたサンプルは、証言が一般的に信頼可能であることを正当化するためには、非常に小さすぎる。また、通常の認識的主体の観察的基盤は、証言の信頼可能性についての帰納に必要なほどには大きくない。Coadyが指摘するように(1992:82)、例えば、血液循環とか骨格とか、空中の光の速さとかいった知識のために観察されなくてはいけない多くの事柄を、我々の大部分は観察したことがないはずである。そして、科学的、数学的、経済的理論などの知識にかんしては、我々の大部分が、それら報告と事実とをチェックするために必要な概念的機構を欠いている。従って、ここでもグローバル還元主義は、証言的知識全般への懐疑論へと陥らざるを得ない。

 

(3)上の2つは、証言の一般的信頼性の知識獲得および決定の問題にかかわるものであった。3つ目は、そもそも、ここには認識論的に有意義なことの真相【証言というもの】などあるのだろうか、という問題である。報告には非常に様々な種類のものがある。時刻の報告、朝食に何を食べたか、子供の発達記録、どの衣服が好みか、身長体重、気候記録、、これらは「証言一般」のなかに入れられている。だが、このなかには一般的に高度に信頼可能な種類のものもあれば、一般にあまり信頼できない種類のものもあれば、話者に依存して信頼性が変化する種類のものもある。このような認識論的異種性のもとで、いったい、何が認識論的に興味深い「証言」といえるのだろうか。そして、「一般的に信頼可能な源泉」であるような「証言」について語ることにいみがあるのだろうか。

 

 

  • 証言的信念についてのローカルな還元主義
  • 個々の証言による報告ないし事例の正当化は、それぞれ感覚知覚・記憶・帰納的推論による正当化の事例へと還元される。
  • 話者の証言を正当に受容するためには、聞き手は、そのとき問題になっているその方向を受容することへの非証言的に基礎づけられた理由を持っていなくてはいけない。

 

*ローカル還元主義の内部で、「ポジティヴな理由」の理解について2つの路線がある。

①PR-N:適切なポジティヴな理由は、証言的正当化にとって必要条件である。

②PR-N&S:適切なポジティヴな理由は、証言的正当化にとって必要十分条件である。

⇔だが、証言的正当化が感覚知覚・記憶・帰納的推論に還元可能であるためには、当該のポジティヴな理由は、妥当な証言的信念の正当化のための完全に十分な条件でなくてはいけないはずだ。さもなければ、還元される証言的信念と、還元を可能にするポジティヴな理由との正当化の地位が非対称になってしまい、そもそも還元可能性が妨げられてしまう。

⇒だから、ローカル還元主義者は、ポジティヴな理由について強い主張(PR-N&S)を採らざるをえない。

⇔しかしながら、本稿では、ローカル還元主義のそのような要請(PR-N&S要請)は誤っていると論じる。この結論は重要である。ローカル還元主義は最も弱いバージョンの還元主義を代表しているので、ローカル還元主義の反論は、証言についての還元主義一般が誤っていることを示すことになるからである。【いちばん弱いバージョンの還元主義を論駁することで、還元主義が成立する余地をなくすという戦略である。】

 

  • 入れ子になった話者:

フレッドはヘレンと五年来の知り合いであり、その間にフレッドはヘレンが非常に広い範囲の話題に関して高度に信頼可能な情報源であることを信じることに対する極めて認識論的な理由を獲得した。彼女がフレッドに何らかのものを個人的または専門的に推薦したさいには、彼女の調査が正確であることが判明したし、彼女がフレッドに何らかのことを報告したさいには、彼女の語ったことが独質に確証されたし、彼女が物語った歴史的情報は、主要な歴史の教科書や書物によって裏付けられたし、といった具合である。さて、昨日のことだった。ヘレンはフレッドに、彼女の親しい友人であるポーリーンは、非常に信頼できる人物であり、とくに野鳥に関しての情報は非常に信頼できると語った。そこでフレッドは、今朝早くポーリーンが、野鳥のなかで最も大きな翼幅を持っているのは、コンドルであるとよく信じられているが、じつはアホウドリだと語ったときに、それを躊躇なく信じたのだった。さて、ヘレンは認識論的に極めて優れた情報源であるけれども、この場合には彼女は正しくなかった。ポーリーンは、じっさいには、ことに野鳥にかんしては、不完全で不誠実な話者であったのである。さらに、いま問題となっているアホウドリについてのポーリーンの報告じたいは正しいものだったのだが、しかし彼女はこの信念を願望的思考(彼女は『古代水夫の韻律』を読んだのだ)に基づいてのみ信じるようになったのであった。

【注9:この事例のポイントは、ポーリーンの証言を受容することへの正当化が、ヘレンの証言を受容することへのポジティヴな理由のなかに入れ子になっている点である。つまり、入れ子になっている話者とは、ポーリーンのこと。】

 

⇒さて、フレッドは、ポーリーンの報告に基づいて、アホウドリは野鳥のなかでもっとも大きな翼幅をもつと正当に信じているといえるのだろうか?

直感的には、否と答えるほかない。

  • ヘレンの証言は、フレッドに対して、当該のポーリーン発言を受容するための優れたポジティヴな理由を与えてはいる。しかし、ポーリーンは一般的に信頼可能な話者とはいえないし、彼女が報告している信念は、仮にそれが真であったとしても、信頼可能性を産出しないか、真理統制的ではないような信念である。【ポーリーンによるアホウドリの情報は、たまたま真であることに注意。】
  • だから、ポーリーンがフレッドに伝達した証言もまた、信頼可能性を産出せず適度な真理統制度を持たない。従って、この証言は、フレッドに正当化された信念を形成させることを妨げている。
  • 「入れ子になった話者」事例が示していることは、聞き手によるよいポジティヴな理由の所有は、話者の証言を正当に受容するためにじゅうぶんではないということである。なぜなら・・・
  • 話者の報告に対するポジティブな理由を【聞き手が】所有していることは、(いかにそれが客観的にみても優れた理由であっても、)話者の報告が信頼可能な証言であるということと必然的に結びつくわけではない。
  • 証言的正当化にはさらなる必要条件が必要なのであり、それは話者の証言それじたいが信頼可能であるか、あるいは真理統制的であるということである。
  • この「話者条件」は、言い換えれば、話者の言明は真理産出的ないし真理トラッキング的であることのみを要請されるということである。多くの非還元主義者は、話者に対して、彼女の証言が聞き手に正当化された信念を生じさせるように、彼女自身その命題を完全に信じ、そして誠実に証言することを要求する。
  • しかし、ここで言われている話者条件は、聞き手の側での適切なポジティヴな理由の所有の要請のみでは包摂しきれない条件である。

⇒従って、「聞き手の側がもつポジティブな理由の要請」を強く解釈する(聞き手のポジティヴな理由は証言的正当化の必要十分条件である)グローバル還元主義の主張は偽である。なぜなら、聞き手の側がもつポジティブな理由のみでは、証言的正当化にとって必要十分な条件は網羅できない【聞き手が話者に対して、ポジティブな理由を持つことは、話者の証言それじたいが信頼可能なものであることを含まない。】からである。

【よって、還元主義一般における「ポジティヴな理由の要請要件」が偽であることになる。】

 

⇒では、ポジティヴな理由要件からの帰結である「還元要件」のほうはどうなるのか。

  • もしも、還元要件が正しい【証言的信念は、非証言的に基礎づけられたポジティヴな理由の付与によって正当化され、証言的正当化は、非証言的正当化に還元される】としたら、還元される証言的信念と、還元を可能にするポジティヴな理由との正当化にとってのステイタスは差異がないことになる。
  • つまり、荒っぽくまとめると、ポジティヴな理由が正当化されたなら、当該の証言は正当化されたことになるということだ。証言的正当化は、感覚知覚・記憶・帰納的推論の正当化へと還元されるという。
  • だが、「入れ子になった話者」事例を思い出そう。この事例は、それらの正当化の種類のあいだの差異を指摘する事例でもある。フレッドの持つポジティヴな理由は、フルに認識論的に正当化されている【ヘレンが信頼可能な情報源であるというフレッドの信念は、知覚や記憶、推論によって正当化されている】が、しかし、問題となっているその証言的信念じたいは正当化されていない【ポーリーンが野鳥について語ることは正しいという証言的信念あるいは、ポーリーンによるアホウドリの情報による証言的信念は偽である】。よって、還元要件も偽であることがわかる。

【*あくまでも、ポジティヴな理由とは、証言をなす話者が信頼可能であることへの理由であるので、証言内容には直接かかわらない。証言内容についての知覚や記憶、推論ではないことに注意。】

 

*ここまで、還元主義者の主張の「ポジティヴな理由要件」も「還元要件」も偽であることが判明した。しかし、還元主義者はこの結論に対して、以下のような再反論をなしてくる可能性がある。

  • 還元主義者からの再反論①

「入れ子になった話者」事例は、証言の場合のゲディア事例のようなものである。聞き手の信念は正当化されているが、アクシデントによって真になっているということである。

  • この路線で例えば、ポーリーンへの信頼のためにフレッドが持つ優れた理由のせいで、ポーリーンの証言から獲得されたフレッドの真なる信念は正当化されていると言えるかもしれない。だが、直感的に認識論的になにかおかしいと我々は感じるだろう。しかし、フレッドの信念が知識というには少し足りないかもしれないが、じっさいに真ではあるし、正当化された信念ではある。

⇔この再反論に対処するために「入れ子になっていない話者」を考えてみよう。

  • 入れ子になっていない話者

マックスはホリーと十年来の仲で、この10年間にマックスはホリーが広範囲における高度に信頼可能な情報源であると信じることへの優れた認識論的理由を獲得してきた。じっさい、ホリーは、マックスや他の人びとに対して、不誠実な報告や不適切に形成された報告をすることは決してなかった。しかし最近になって、ホリーは個人的な災難に見舞われた。ホリーはそのことを周囲の人間には隠していた。だが、彼女は、その心理的状態のゆえに、財布が盗まれたとかいう完全に何の証拠もないような事柄をマックスに報告した。マックスは、【ホリーに対して】何の変化や不都合も感知していないから、彼女の証言を容易に受け入れた。さて、実はいま、ホリーの財布はじっさいに盗まれている。ホリーが昨日カフェにいたときに、若い男が彼女の財布をすっていたのだ。

 

⇒「入れ子になった話者」との違いは何か。

  • それは、マックスがホリーの証言を受容するための優れた認識的理由をもっているだけではなく、ホリー自身も一般的には信頼可能な証言者であることである。
  • 問題は、ホリーがこの特定の事例においては、認識的性格から外れており、適切な証拠が存在しないことがらを報告しているという点である。そして、ホリーは幸運にも(財布がすられたことは不運だけれど)真理を突き当てた。彼女の財布が盗まれたことは真である。
  • このことから、「入れ子になっていない話者」事例も、ゲディア事例のひとつだと思うかもしれない。つまり、知識というには少し足りない正当化された真なる信念というわけだ。
  • ホリーの証言者としての一般的な信頼可能性と結びついたホリーの当該の証言のためのマックスの優れたポジティヴな理由は、財布が盗まれたということへの彼の真なる信念を正当化しているといえるかもしれない。それを知識というには何かが足りないとしても。
  • 従って、「入れ子になっていない話者」事例は、還元される証言的信念と、還元を可能にするポジティヴな理由とのあいだの正当化についてのステイタスの差異を示した事例とはいえない。【だから、「入れ子になっていない話者」事例は、還元主義一般の困難を指摘する事例ではない。】

 

*「入れ子になった話者」は、ゲディア事例ではない。

  • しかし、「入れ子になった話者」の場合には、フレッドはポーリーンの証言を受容するためのポジティブな理由を持っている一方で、ポーリーン自身はいかなるいみでも信頼可能な証言者ではない。
  • ポーリーンによるアホウドリの翼の情報は、願望的思考によるものであるし、一般的に彼女は不誠実で不完全な証言者なのである。つまり、多くの話題、多くの機会において、ポーリーンはじっさいには偽である事柄を信じているか、彼女が信じていない事柄を報告しているか、その両方である。
  • ゆえに、ポジティヴな理由は、一般的信頼可能性から程遠い。ポーリーンの信頼不可能性の範囲と深さを考えてみても、フレッドがポーリーンの証言に基づいて形成した信念が正当化されるということは、すこしも明確でも自明でもない。
  • 従って、「入れ子になっていない話者」とは異なって、「入れ子になった話者」はゲディアタイプの事例ではないのだ。

【ゲディア事例のひとつといえるためには、フレッドの信念が、アクシデンタルな仕方であれ、正当化されているといえることが必要である。この場合、フレッドの証言的信念を正当化するのは、証言者が信頼可能であるということである。フレッドは、ヘレンからの偶然的に誤った証言によってポーリーンを信頼可能な証言者であると思っているが、ポーリーンはじっさいには信頼不可能な証言者であるので、ポーリーンの証言によって形成されるフレッドの信念は正当化されていない。対して、マックス事例では、マックスはホリーについて信頼可能な証言者であると思っており、ホリーは偶然的にその事例においてはやむを得ない事情で認識的に正しくない報告を行ってはいるものの、信頼可能な証言者ではあり続けている。従って、マックスのホリーからの証言的信念は、証言者ホリーが信頼可能であるという理由によって正当化されているといえる。】

 

 

  • 還元主義者からの再反論②
  • フレッドが所有するポーリーンの証言に対しての「優れた認識論的理由」は、レリバントないみでは「適切」ではない、ということによって、「入れ子になった話者」事例を批判することもできる。
  • 適切なポジティブな理由とは、当該の証言が真であるということを客観的ないみで担うようなものでなくてはいけないと主張することもできるかもしれない。ヘレンはポーリーンの評価については正しくなかったのだから、そのような評価はフレッドにこの上記のような基準をみたすようなポジティヴな理由を与えることに失敗しているというわけだ。

⇒だが、「入れ子になった話者」でも、フレッドは、ひとつの見方をすれば、ポーリーンの証言が真であることが客観的にありえそうであることを担うような理由を持っているといえる。

  • フレッドのポジティヴな理由は、そのカテゴリー内部の諸信念の大部分が真であるか真でありうるような諸信念のなかにある、ポーリーンの証言から形成された信念のなかに位置づけられている。それらの諸信念は、ヘレンの証言によって支持されている。
  • たとえば、フレッドが、2人の証言者のあいだで決定をしなくてはいけないとき、ヘレンによって支持された話者と、支持されていない話者とのあいだでは、多くの場合、フレッドは前者を選ぶだろう。
  • つまり、ヘレンの証言によって支持された源泉によって形成された信念の大部分は、真理へ到達する。だから、ポーリーンの証言に対してフレッドが所有するポジティヴな理由は、客観的ないみでも、彼女の証言が真であるということがありそうであるということを担っているといえる。
  • 問題は、別の観点から客観的尤度を考えると、フレッドのポジティヴな理由は、ポーリーンの証言が真であることのもっともらしさを担っていないということだ。フレッドのアホウドリについての信念は、そこに含まれる信念の大部分が偽であるような諸信念の集合のなかに属している。つまり、ポーリーンの証言によって支持されている信念の集合の内部にある。
  • さらに、ポーリーンは信念の直接の源泉であるので、彼女の信頼不可能性が、フレッドが彼女を信じることのために所有している優れた理由によって相殺されるということはない。だから、フレッドは、ポーリーンの証言を信じるための優れたポジティヴな理由を所有しているのだが、しかし、その当該信念は正当化されていないのだ。

 

  • ここまで、話者の証言を受容することのために、聞き手が認識論的に優れたポジティヴな理由を持つことは、証言的正当化のためにじゅうぶんではないことをみてきた。話者もまた、証言の提供にさいして、信頼可能であるか、真理統制的な証言を供給するという取引をなさなくてはいけない。だから、聞き手の持つポジティブな理由が、証言的正当化のための必要十分条件であるという還元主義の主張は偽である。